教育の形

日本の補習校と、アメリカの学校の宿題を両方娘にやらせていると、教育のやり方というのはやっぱり場所によって違うのだなあ、と痛感することが多い。

日本校の宿題は、子どもに考えさせるように色々工夫されているところも多いけれど、やっぱりどうしてもメインは新しい漢字を覚えたり、算数の計算ドリル的問題をやったりする時間が多い。

ご存知の通りアメリカには国で統一したカリキュラムなどなく、教科書だって州や地区によってばらばらである。

だから娘のやっている宿題は決してアメリカを代表するようなものではないけれど、それでも一例ではある。

例えば算数の宿題は、一年生の彼女には一日一問、全部で5題の一枚のシート。一日たった一問だけれど、ちょっと考えさせる問題が多い。例えば”Karen has a big basket of strawberries. She wants to share them with 5 friends. She wants each person to have the same number. How can she do this?”などというものがある。

答えは、正解を気にするというより、どう考えるかを聞いているのだ。それから、一年生だけれど、授業の中で、掛け算や割り算も、概念として紹介されてきている。これはなかなかよい方法なのではないでしょうか。

まあ、最近はアメリカの学校でももっと二年生から始まる統一テストを意識した、テストのための勉強に力を入れるようになったらしいので、こんなアプローチをしている学校は少数派になってきているかもしれないけれど。

それにしても、一年生の最初の頃は、こういう算数の問題をやるにしても、娘は日本語の方が得意で、英語が自分で読めるわけでもなかった。だから娘と一緒に問題を読んで、さて、その英語がわかっているのかどうか、非常に怪しかった時期があった。だからあまりわかってなさそうな時は日本語でそれとなく私が解説したりしていた。それが、今ではだいたいは自分で読めるし(といっても、「ママ、一緒に読もう!」とか誘われてしまうが)、読めれば内容はほとんどわかっている。この英語を読む力は、ほとんど、このそれほど長くもない学校の授業時間中に養われたもので、それを考えると随分効率がよかったような気がする。まあ、読めても、内容の理解力は高くはないと思うけれど。

実際娘がだいたいどんなふうにここの学校で英語を学んでいったかは、また今度書きます。