ようこ園

カリフォルニア州デービス在住の三児の母のブログ。

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英語を読めるようになる道のりー一年生

一年生になると、基本的には、月曜から木曜までは毎日reading groupという時間があって、その時、5~7人ぐらいのグループの皆で一緒に同じ薄い本を声に出して読むようになった。そして、その本の内容というより、出てきた単語の綴りと音のつながりが意識できるような、ちょっとしたテストを皆でやる。例えば、likeという単語が出てきたら、先生がそれを読み上げる。生徒は、配られた紙に下のように書いてあるのを見ている。

l s p  :  a e i o u  :  d g k :  e

likeという単語の、最初の音はl s pのどの文字か、その次の母音はどれか、そしてその次の子音はd g kのうちのどれか、そして最後にeはつくか、つかないか。

これを10問ぐらいやるのである。

そしてその本を家に持って帰り、すらすら読めるまで読むという宿題になる。とはいっても、大抵娘は多少つっかえながらでも一回読んだらもう一度読ませようとしても読まない。それでも、学校で何回か読んで、単語の綴りを確認して、家でも読めば頭に残りやすいのだろう。

一年生の最初の頃のこの薄い本は、文も簡単で具体的な単語が多かった。挿絵から、文章の内容がわかってしまうようなものが多かった。

それが、最近では、文章の内容が少し抽象的な単語を含むものになってきた。

例えば先週の本の一つに”Living Together”というのがあった。動物たちが仲間とどうやって生活しているのかを解説したミニ本である。

中の文章は、”Emperor penguins live together in colonies. When parents are out hunting for food, their chicks are left behind. The other adults in the colony take care of the chicks.” という感じで、ペンギンの写真からだけではとてもこの内容は推測できない。

これを結構娘がすらすら読むので、少し感心した。でも、まだ”parents”でつっかえたりしているけれど。あと、”young”が何回も出てきたのだけれど、最初はやっぱり「よぅんぐ?」みたいになってしまっていた。

それでも、英語の子音と母音の組み合わせから出る音には一応法則があり(例外も多いが)、それを覚えればきちんと読めるようになるわけだ。上の文章ぐらいだったら、もっと前から読むことが得意な子だったら一年生で読めて当然ぐらいなのかもしれないけれど、キンダーの時の娘のレベルから考えたら大いに進歩したな、と感心してしまう。子どもの能力というのは本当にすごい。

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英語を読めるようになる道のりーキンダー

英語と、日本語の読み書きを学んでいく上で違うことは、当たり前のことかもしれないが、英語は綴りと読み方の対応が複雑で、実際に言葉がしゃべれても、きちんと読んだり書いたりするのにはこつこつと勉強の積み重ねが必要だと言うことではないだろうか。日本語では、すくなくともひらがな50音を覚えれば、ひらがなでほとんどで書いてある一年生の教科書など、一人で一気に読めてしまう。しかし、英語は、基本的なアルファベット26文字の音を覚えたからといって、すらすら読めてしまう本など、ないわけである。もちろん、日本語では漢字を覚えないと高度な文章は読めないわけで、その部分が大変だけれど。

では、どうやって英語を読んだり書いたりするようにしていけるのか。

これには様々な方法が実は存在するのだけれど、最近はまずphonics(音声学)といって、とにかくアルファベットの基本の音を覚えさせていく。そして、自分が文を書いていく時は、最初は正しい綴りではなく、phonicsに合っていればよいとしておく。

娘の学校では、zoo-phonicsといって、AはAlly, Alligatorというように、動物とその名前を一致させて覚えさせる方法をとっていた。テープもあって、振り付けもある。皆でお遊戯のようにそれをやってこの段階をクリアしていく。

そして、簡単な文章の本や詩をたくさん読ませ、phonicsのパターンにも色々あり、様々な読み方がある、ということを学ばせていく。

簡単に言ってしまえば、それにつきるようだ。少なくとも娘の学校のアプローチはそんな感じである。

娘の学校では、キンダーの時から、皆で英文を一緒に読みながら読み方を覚えていこう、という姿勢が感じられた。

毎朝、少しずつ黒板に書いた簡単な文をみんなで読んだり(少し子どもが読めるようになってくると、先生はわざと間違えた綴りを黒板に書いたりしていた。おちゃめな先生である。子どもはこういうことをするとものすごく喜ぶ。)、すぐ覚えられるような薄い本を自分たちで作って、それを家に持って帰ったら子どもに読ませるようにしてください、と言われたり。それから、毎週新しいpoetryを習ってきた。季節や、その時のテーマにあった、子どもにも覚えやすい詩が毎週赤いフォルダーに入って家にやってきた。歌のように節をつけて毎日教室でも読み上げているものだし、面白いものも多かったので、娘も、喜んで暗誦していた。私は、こういう簡単な詩がたくさんあることにかなりびっくりした。だって、中学だか高校だかの英語で出てきたWordsworthの詩とかって、格調高いんでしょうけど面白いということはないでしょう。小学生が喜んで読む詩というのがあるんだねえ、と感慨深く思ったのだ。

そして、二学期以降になると、薄い、本当に簡単な文章の入った本を毎日持って帰ってきた。そして、それを家ですらすら読めるようになったら、封筒にサインをして、学校に持って行き、次の本を持って帰ってきて、また同じことの繰り返しをした。

基本的なphonicsはマスターしたものの、まだまだ新しい英語の文章をすらすら読めるレベルには達していない状態で一年生になった。

(つづく)

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教育の形

日本の補習校と、アメリカの学校の宿題を両方娘にやらせていると、教育のやり方というのはやっぱり場所によって違うのだなあ、と痛感することが多い。

日本校の宿題は、子どもに考えさせるように色々工夫されているところも多いけれど、やっぱりどうしてもメインは新しい漢字を覚えたり、算数の計算ドリル的問題をやったりする時間が多い。

ご存知の通りアメリカには国で統一したカリキュラムなどなく、教科書だって州や地区によってばらばらである。

だから娘のやっている宿題は決してアメリカを代表するようなものではないけれど、それでも一例ではある。

例えば算数の宿題は、一年生の彼女には一日一問、全部で5題の一枚のシート。一日たった一問だけれど、ちょっと考えさせる問題が多い。例えば”Karen has a big basket of strawberries. She wants to share them with 5 friends. She wants each person to have the same number. How can she do this?”などというものがある。

答えは、正解を気にするというより、どう考えるかを聞いているのだ。それから、一年生だけれど、授業の中で、掛け算や割り算も、概念として紹介されてきている。これはなかなかよい方法なのではないでしょうか。

まあ、最近はアメリカの学校でももっと二年生から始まる統一テストを意識した、テストのための勉強に力を入れるようになったらしいので、こんなアプローチをしている学校は少数派になってきているかもしれないけれど。

それにしても、一年生の最初の頃は、こういう算数の問題をやるにしても、娘は日本語の方が得意で、英語が自分で読めるわけでもなかった。だから娘と一緒に問題を読んで、さて、その英語がわかっているのかどうか、非常に怪しかった時期があった。だからあまりわかってなさそうな時は日本語でそれとなく私が解説したりしていた。それが、今ではだいたいは自分で読めるし(といっても、「ママ、一緒に読もう!」とか誘われてしまうが)、読めれば内容はほとんどわかっている。この英語を読む力は、ほとんど、このそれほど長くもない学校の授業時間中に養われたもので、それを考えると随分効率がよかったような気がする。まあ、読めても、内容の理解力は高くはないと思うけれど。

実際娘がだいたいどんなふうにここの学校で英語を学んでいったかは、また今度書きます。