ようこ園

カリフォルニア州デービス在住の三児の母のブログ。

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長女の料理

最近、長女が好きなことが以前より具体的になってきた。

親の私が、彼女ってこんなことが本当に好きだったのか・・・とわかってきたというか。

自分でも「パティシエールになりたい」と言っているように、彼女はお菓子作りとか、料理に結構興味を持っている。

前からおばあちゃんのジャム作りを手伝ったり、ホットケーキ作りの混ぜるのを手伝ったり、スクランブルエッグ作りを手伝ってくれたり、ということはあった。

こどもは誰でも好きなんだろうなー、ぐらいの思いで手伝ってくれるときは見ていた。

でも最近は、料理等のお手伝いに関しては、前より自分でできることが増えたので、より面白いと思い始めたらしい。

そうそう、去年の今頃、おばさんが突然訪米してくれたけど、その時餃子作りを一緒にしてくれたりしたのも楽しかったようだ。

おかげさまで、最近は、「餃子包むから手伝ってくれるかな〜?」と問いかければ、必ず姉弟そろって飛んできてくれる。それがちゃんと手伝いになっているので、少しは作業が早くなるから、餃子が夕飯に登場する回数も前より多くなった。もちろん手伝ってもらえる日に餃子を作るよう、献立は計画的に考えなければいけないが。

ちなみに今では末の妹まできちんと手伝ってくれている・・・。一生懸命、水に指を突っ込んで(その指はきれいなのか??)餃子の皮に水をつけようとするのだ。

私も餃子包みの手伝いぐらいは自分が小さい頃やった記憶があるけど、もっとずっと大きくなってからのような気もする。

長女の場合、料理の中でも何かを混ぜたりすることがすごく楽しいらしい。私が朝目玉焼きを作ろうとしていると「スクランブルエッグにしていい?」とメニューを時々変更させられる。

ハンバーグなどの具を手でかき混ぜているのが見つかると、目をきらきらさせて「うわー、それやらせて!!!」と寄って来る。

もちろん、白玉や団子を作ったりするのも大好き。

あ、もしかして要するにまだ幼くて、砂遊びみたいなものが楽しいレベルから抜けきれてないだけなのかも・・・。ま、それはそれでいいか。

クリスマスにはサンタさんからシリコンカップとお料理の本のセットと、お菓子の本をもらった彼女。

冬休みには下のようなシリコンカップで簡単にリゾット(ちなみに本の通りに日本のお米で作るとちょっと芯が残っていたけれど、まあそれでも思ったよりおいしかった!)を作ってくれたり、更にその下の写真のようなクッキー(これは少し夫に手伝ってもらっていたが)を作ってくれたりしていた。

今度の土曜日は補習校では全校一斉漢字テストだけれど、それが終ったらケーキを焼いてくれるそうだ。

全部自分でやると張り切っている。

料理は少しは自分で出来ないと将来困ると思うので、とりあえず興味を持ってくれて親としては嬉しい。

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ER(救急医療室)初体験

先週の水曜日、一歳児の次女が夕方急に発熱した。どうも機嫌が悪く、眠たそうにしていたので抱いていたら寝てしまった。もう夕方だったのに二度目の昼寝で困ったなと思ったら、30分後に泣きながら目覚めたら体が熱い。

計ってみると103°F近い。39℃ぐらいを超えているということ。

抱いていても泣き止まない。

3人目の子どもでも急な高熱にはやはりびっくりする。

とりあえず、時間外診療に連れて行くことにした。突然の高熱だったので、一晩様子を見るより、とにかく耳やその他のことをチェックしてもらって帰って来ようと軽く考えていた。

幸い夫が仕事を早めに切り上げて帰ってきてくれた。

しかし、このときもうちょっと考えていれば良かった。

この子が医者嫌いだということを。

病院に入っただけで泣き出すのだ。

具合が悪い時だけによけいにぐずる。

ただでさえ熱が出ているのに、医者に見てもらえる頃にはかなりくたびれた様子になってしまった。

耳や喉はほぼ異常なしだったので、そのお医者さん、ずっと泣いている娘を見て、「最初からERに連れて行ってもよかったかも」などとおっしゃる。

そ、そうですか???

結局、そのお医者さんの判断で、そのままERの医者にも見てもらうことになってしまった。

この時点でもう8時ぐらい。

ERに行けと言われた時点で結構動揺してしまった私。

これまでERのお世話になんてなったことなかったけれど、それってとても幸せなことだったんだなあ、などと過去を振り返ってしまう。

もっと大病の子どもだって世の中には大勢いるんだから。
命は大事にしなきゃな。毎日をもっと無駄なく大事に過ごさなければ、などと猛反省。(何やってるのか・・・)

ERではまたそこに入るための書類を作成したりしなければならない。

まだ熱が高いままだったので、まず看護婦にTylenolとMortrinを両方飲ませる、と言われる。

その後空いている部屋に通されて、またしばらく待つ。娘はやっぱり泣いていたが、しばらくすると半分寝てしまった。

私の入らされた部屋の外には、警官が二人ぐらいいて、しばらくしてそこにいた男二人を連れて出て行ったが、何気なく見るとその男二人は手錠をされていた・・・。

そして隣の部屋にはこの世の終わりのような咳をしている女の人を連れておじさんが入っていった・・・。

あー早く帰りたい。噂には聞いていたが、ERはやっぱり社会の底辺でがんばっているような人たちが多いのだ。それでもここデービスで良かった。
それほど柄が悪いという感じはあまりしないし、大混雑でもない。これが大きな街だったらこうはいかないだろう。

もう9時近くなって、まだ若い女性の、でも落ち着いた風情のベトナム系のお医者さんが診てくれた。このお医者さんを見ても、私は「ああ、あなたは移民してきたご両親の期待に応えてがんばったのねえ。えらい!」などと心の中で拍手をしてしまう。カリフォルニアにはアジア系のお医者さんも多くなってるんだなあ、きっと。

他の症状がないので尿路感染症の可能性もあるが、今の時点ではその検査をするよりも様子をみよう、と結論してくれた。

結局、その後熱は3日目に下がった。鼻水や咳も出てきた。

やはり何かのウィルスだったようだ。

今となっては、高熱でも、とりあえず薬を飲ませて一晩様子を見てもよかったかと思ったが、後で後悔しても困る。まだ一歳児だからあまり言葉で色々訴えてもらえないし。

こんなことでERに回されることもあるんだな、ということで、次回からはすぐ帰れるつもりでも、水とか、子どもの気が紛れるものとか、持参すべきだな、と思った。まあ、次女の医者嫌いが更に悪化したような気もするがしょうがない。何事もなかったことに本当に、心から感謝。

あ、結局私はその風邪をうつされかけてるような気もしますが・・・。

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デイケア・デビュー

長女、長男もお世話になったデービスのファミリーディケア(自宅でやっている保育所)では、一歳半の子どもから引き受けてくれる。別に働く先が決まっている訳でもないが、何かあったときに我々以外の人が預かってくれる当てもないといけないこともあるので、次女もそのディケアに預けてみることにした。

慣らし保育を始めたのが11月。二回ほど、私も終始つきあってみたのだが、最初は正直「まだ早かったか・・・」と心配した。

周りの子ども達は当たり前だがもう大分ディケアに慣れているいわばベテランばかり。3歳ぐらいの子がとても大人に見える。

彼らが庭で楽しそうに三輪車等に乗っていても次女はペダルにさえとどきはしない・・・。

ところがところが。

3回目、試しに私がいなくなると、大泣きしたり、4回目はやはり学習して、ディケアに着くなり泣いたりしていたが、その次の週には最初ちょっと泣いただけで、後は楽しそうに遊んでいたそうなのだ。

びっくり。

まあ、せっかく慣れても、12月の後半からは冬休みで、1月初めて連れて行ったらまた大泣きされてしまったけれど、一月二回目の今日はまた泣いたのは最初だけ。迎えに行ったら上機嫌で昼ご飯を食べていた。

人見知りが激しくて、だっこちゃんな次女だけど、案外大丈夫なんじゃないの!と(ちょっと寂しい気もするけど)頼もしく思って嬉しい母でした。

ちなみに、彼女は最近日本語の語彙が少し増えてきました。

「いや」とか「もういい」と、割とはっきり言えるようになりました。
否定語ばっかりかと思えば、そうでもありません。

歌の歌詞の「しゅっぽっぽ」も分かるように言えたりして、ついに、「まま」と「これ」だけの時代が終わりそうです。

お絵描きも好きな彼女に、目のついた動物の顔等を書いてあげると、「わ、かーいー!」と絶叫してもらえます。

自分が食べておいしい時には、私に向かって「おいちー?」と聞き、「おいしいね」と言ってあげると「うん!」と言います。

もちろん、何回も繰り返すのはお約束。ちなみに、ディケアの今日のお昼は気に入って、ターキーを食べながらこれを連発していました。
(お昼の途中に迎えに行ったので)

かわいいもんです(はい、親ばかです)。