ようこ園

カリフォルニア州デービス在住の三児の母のブログ。

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もっと二才児との遊び

後二ヶ月とちょっとで3才になる次女。

よく言われるように、二歳児と過ごすのはほんとに大変なことも多いとは思う。でも最近次女と遊ぶと微笑ましいことが多く、ちょっと前にできなかったことができるようになっていてものすごく変化して面白い時期だなとも思う。同じ二歳でも、最初の頃と後の頃では雲泥の差だ。もっとも、うちの次女は、長男に続いて二歳過ぎるまであまりきちんと夜寝てくれなかったので、今やっとそういうことを楽しめる余裕が私に出てきたということはいえる。

次女の場合、言葉の発達はそれほど早いほうではない。

特に、英語のインプットは子ども三人の中で一番少なくなっている。家の中では我が家のコミュニケーションはほとんど日本語なので、英語に次女が触れているのは週二日、一日三、四時間の保育園の時だけ。しかもその時も日本人のお友達が何人もいる。

だから私は彼女に対しては最近わざと少し英語を教えるようなことをしてきた。

数字が好きな彼女が数字を数えるとき、英語で言ってみたり、絵本を読みながら英語ではなんというかも一緒に言ってみたり。でもそんなとき、彼女は決まって英語でいう単語は「ちがうよ!」と見事に否定してくれていた。例えば、私が魚の絵を指して「これはFishだね」などというと、彼女はきちんと「ちがうよー、おさかな!」と言っていたのだ。

ところが。

クリスマスの頃、ジングルベルの歌をさわりのところだけだが、英語風の発音で歌っていた。保育園で習ってきたようだ。そして、最近は英語風の調子ででたらめだけれど何か話しているような口真似をしていることもあるようになった。

さらに、2日ほど前、XEROXという文字がついている我が家のプリンターを見て、彼女が「E, elephant、たららららららららー(コンピュータのキーボードを押すと流れる音楽つき)だね。」と言ったのだ。

彼女は、以前長男がプレゼントでいただいた、幼稚園児向けのコンピュータで最近よく遊ぶようになった。これにはキーボードがついていて、それを押すとアルファベットごとに単語を言ってくれる機能がついている。随分前からアルファベットの形は少しこれで覚えたようだけれど、最近はこれを押しまくって単語を覚えたらしい。

英語は単に否定されていたのだから大層な変わりようである。おもちゃもなかなかあなどれない。私も昔はこういうデジタルなおもちゃはあまり好きではなかったけれど、かなり教育効果が上がることもあると認めざるを得ない。

まあそれでも英語で話しかけられると隠れようとしたり逃げようとしたりしている彼女。日本語でも知らない人だと逃げているから言葉の問題ではないかもしれないけれど、まだまだ日本語中心の生活である。そして、今後少しずつ英語に触れる機会を多くしていってあげれば、多分それであまり問題もないだろうと確信している。

最近の他の変化としては、少し神経衰弱のようなことができるようになった。夫が不要になった名刺の裏に、たまたま二枚ずつ同じ柄の揃っているかわいいシールがいくつかあったので、それを貼って、カードを作っておいたのだ。前にやらせたときには全く何をするのか理解できていなかったけれど、今日は自分でいくつかきちんと当てて、同じ柄のシールが出るとかなり喜んでいた。

それからパズル。アンパンマンのあいうえおのパズルがあったのだけれど、半分ぐらい自分でできるようになった。
別にあいうえおで識別しているわけではなく、パズルの形と絵と位置で覚えたり、パズルを逆さにして一つ一つのピースがあまりばらばらにならずに並んだまま裏返しで置いてあるところからほぼ順番に拾って並べていくと、わかりやすいということらしい。

それでもこんなことができるようになったんだなあ、と全く感慨深い。

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子どもが英語を読めるようになるために必要なことー理論編

以前、「英語が読めるようになるまでの道のり」という題で、娘がキンダー及び一年生を通して学校でどのように英語を読む事を習ってきたかについて書いた。今、二年生があと数ヶ月で終わるという時期だが、この一年間も前の年の一年生の時と大体同じような勉強を学校ではやってきたようだ。

宿題は単語(スペリング)の練習のようなもの(「英語が読めるようになるまでの道のりー一年生」)と同じものを続けた。それ以外にはとにかく毎日15分本を読むことが課された。本は何でも良いとの事。娘は簡単なChapter Bookとよばれる、薄い本(ペーパーバック)や、絵本を自分で読んでいた。

英文読解を学校でやると、英語の熟語というか言い回しや単語がわかっていないところがどうしてもあるので、満点にはならないが、理解力はちゃんとついてきているらしい。

DPNSのペアレント・クラスで、ある晩、娘の学校の一年生担当の先生が講師に招かれ、小さい子どもがどのように英語を読めるようになるのか、そして親はどうやってそれをサポートしたらよいのか、という話を聞く事が出来た。

彼女によると、文(英文)を読むために必要な技術・能力というものを考える際に有効な考え方に、以下のものがあるという。そもそも文を読むという作業は何をすることか。

それは文章という記号を解読(Decoding)し、理解(Comprehension)することである。

読解のために必要なのは、単語を認識できること(Word Recognition)、単語や文を見てすらすらと理解できること(Fluency)である。

そして英語の単語の認識に必要なのは、

Concepts of print
・・・文字、単語、文章が印刷してあるということが理解できる。

Phonics
・・・フォニックス、英語の文字がどういう組み合わせだとどういう発音になるかの基本を知っている。

Phonemic Awareness
・・・音素を認識できる。つまり、単語は一つ一つ違う音が組み合わさってできているものであり、一つが違うと違う意味になったりするという事がわかる。英語では、どこで単語が切れるのか、どの単語と単語が韻を踏むのか、などが分かることが音素の認識につながる。だからプレスクールや低学年では繰り返しのある本や、Nursery Rhymeが重要視される。

そして流暢さに不可欠なのが、

Sight Words
・・・英語で日常的に使われる最も基本的な200位の単語。Dolch Word Listとも呼ばれる。the, they, it, was, whyなど。必ずしもフォニックスの原則に従わないので、覚えるしかないものも多い。

Automaticity
・・・以上のことをいちいち考えずに瞬間的に処理できる能力。

であるという。

更に、文章は解読できるだけでなく、理解できなければならない。それに必要なのは、Academic Language(日常会話で使うような言語ではなく、知識を学ぶための言語。書き言葉に近い?)であり、Comprehension Strategies(理解するための戦略)であるという。

Academic Languageを獲得するために必要なのは、

Background Knowledge
・・・背景となる知識

Vocabulary
・・・語彙

であり、Comprehension Strategiesを発達させるために必要なことは、

Syntax
・・・統語論などと訳されるが、ようするに英語の文の構造がわかっていること。主語がどこにきて、後からどういう風に付け足せば文になるのか分かっているということ。

Comprehension Monitoring
・・・子どもが自分で内容を理解できているか補助してやることが必要。もしわからなくなっていたら、どこでわからなくなったのか、一緒に考えてやったりすることが必要。

Reorganizing Text
・・・一まとまりの文章の順序を入れ替えて、並べ替えさせてみる。

であるという。

でも、多分、一番大事なのは、以上のことを表にした時、一番上に来る項目があって、それは「動機」だということだろう。講師の先生も、だから楽しみながらやれるようにしなくては意味がない、と強調していた。

最近のアメリカでの小学校低学年までの英語の習得のためのカリキュラムは、多分このような理論にすべて基づいていると思う。似たようなことを書いてあるサイトはすぐに見つかる。

日本でも「フォニックス」が大事という考え方は随分英語教室などでは普及しているらしい。

アメリカのキンダーや一年生では、Decoding主体、一二年生になるとComprehension主体の英語の学習をほぼ毎日やっているような感じだろう。しかし、この傾向はせいぜいここ10年位のものだ。

こういうやり方が本当に最善なのかは疑問も多々ある。

そういうことを考えさせられるミーティングにも最近参加した。それについてはまた今度。

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頭の中の言語

メモリアルデーの3連休も終わり。

我が家は遠出することもなく、近場でショッピングをしたり、近所の公園で遊んだりして過ごしました。

もう、あと数週間で娘たちの通う学校地区も夏休みに入る。一年生もあっという間に終わってしまった。

正確にはまだ終わっていないけれど、最近はフィールドトリップやイベントが多くて、勉学に勤しんでいるという雰囲気ではない。そういう雰囲気は前からない気もしますが。

娘もかなり頭の中が英語に支配されてきているようです。

例えば娘が息子に向かって言ったこの台詞。

「どうしても聞かなくちゃいけないの!早いから。」

わかるけど、なんか、ぎこちないです。

本当は、「ちょっと聞いてくれる?すぐに終わるから。」てな感じでしょう。

英語の、”You have to listen to me! I will be quick!”みたいな言い方を翻訳したような日本語。

英語にひっぱられるようになってきたんですねえ。日本語が。去年まではこういうことはほとんどなかった。

また、学校であったことなどは、状況が英語なので、そのまま英語でしゃべることが多くなってきました。

今のところ、「日本語でしゃべりなさい」とは言わずとも、こちらが日本語で質問したりしていると日本語に変わります。英語も大事だけれど日本語も大事。バランスをとるのはこれからますます難しくなりそうです。

とにかく、一つの文の中であまり日本語と英語がちゃんぽんにならないように、こちらはしつこく日本語のスイッチを押しまくろう、と思います。