ようこ園

カリフォルニア州デービス在住の三児の母のブログ。

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デイケア・デビュー

長女、長男もお世話になったデービスのファミリーディケア(自宅でやっている保育所)では、一歳半の子どもから引き受けてくれる。別に働く先が決まっている訳でもないが、何かあったときに我々以外の人が預かってくれる当てもないといけないこともあるので、次女もそのディケアに預けてみることにした。

慣らし保育を始めたのが11月。二回ほど、私も終始つきあってみたのだが、最初は正直「まだ早かったか・・・」と心配した。

周りの子ども達は当たり前だがもう大分ディケアに慣れているいわばベテランばかり。3歳ぐらいの子がとても大人に見える。

彼らが庭で楽しそうに三輪車等に乗っていても次女はペダルにさえとどきはしない・・・。

ところがところが。

3回目、試しに私がいなくなると、大泣きしたり、4回目はやはり学習して、ディケアに着くなり泣いたりしていたが、その次の週には最初ちょっと泣いただけで、後は楽しそうに遊んでいたそうなのだ。

びっくり。

まあ、せっかく慣れても、12月の後半からは冬休みで、1月初めて連れて行ったらまた大泣きされてしまったけれど、一月二回目の今日はまた泣いたのは最初だけ。迎えに行ったら上機嫌で昼ご飯を食べていた。

人見知りが激しくて、だっこちゃんな次女だけど、案外大丈夫なんじゃないの!と(ちょっと寂しい気もするけど)頼もしく思って嬉しい母でした。

ちなみに、彼女は最近日本語の語彙が少し増えてきました。

「いや」とか「もういい」と、割とはっきり言えるようになりました。
否定語ばっかりかと思えば、そうでもありません。

歌の歌詞の「しゅっぽっぽ」も分かるように言えたりして、ついに、「まま」と「これ」だけの時代が終わりそうです。

お絵描きも好きな彼女に、目のついた動物の顔等を書いてあげると、「わ、かーいー!」と絶叫してもらえます。

自分が食べておいしい時には、私に向かって「おいちー?」と聞き、「おいしいね」と言ってあげると「うん!」と言います。

もちろん、何回も繰り返すのはお約束。ちなみに、ディケアの今日のお昼は気に入って、ターキーを食べながらこれを連発していました。
(お昼の途中に迎えに行ったので)

かわいいもんです(はい、親ばかです)。

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Happy Holidays!

もう日本は25日。こちらもあと少しです。

クリスマスは我が家にとって、子ども達の冬のお祝い・お祭りです。我々にとっては、家族や友人に感謝する日でしょうか。サンタさんにも・・・。

日本にいた大学生時代や会社員時代のクリスマスの雰囲気はもうはるか彼方に吹き飛びました。

今年は、姉弟仲良く、サンタさんに「本当に来たならサインをしていって!」と頼む手紙を日本語と英語で書いていたようです。

もちろんサンタさんへのコーヒーとケーキも忘れません。

(ちなみにアメリカで一般的にはミルクとクッキーを置いておくはず)

明日の朝が楽しみですね・・・。

下の写真はツリー前で喜ぶ子どもたちです。

下は、子ども達が学校で作ったジンジャーブレッド・ハウス。
冬休みに入る前の学校最後の日に教室でパーティがあり、その時のアクティビティで作ることが多いです。
Gingerbreadと呼ばれてはいますが、学校等ではだいたい箱入りで売っている graham crackerを使って作ります。

上が一年生の息子ので、下が4年生の娘の作品。
一年生は、家の形にするのは教室に手伝いに入った親や、先生・アシスタントで、子どもは飾り付けのみ。4年生になると、家の形から全て自分で好きなように考えて自分で作ったということで、娘はそれが誇らしげでした。(弟に対して自慢していたとも言う)

皆さんはどんなクリスマスを過ごしましたか?

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宿題をやる理由

宿題。

宿題ばっかり。

なんで宿題をやるのか。

谷川俊太郎の、「きりなしうた」の出だしは、宿題だ。

「宿題早くやりなさい   お腹がすいてできないよ・・・」
掛け合いのようにテンポよく続いて行く。
上の娘たちが補習校の学習発表会の劇の中で皆で群読する。

先週の感謝祭のある週は、子ども達は一週間ずっと学校が休みだった。補習校もお休み。ただ、我が家は上の娘が休み二日目から発熱して寝込んでしまい、割と長引いてしまい、それに引きずられてなんとなくだらだらと過ごしてしまった。

あまり宿題にも追われず、朝も急ぐ必要なく、母親の私は病気の娘が心配だったけれど多少リラックスできたのでやはり休みでよかった。

休みの前は、子ども達も宿題に追われたりしてくたびれていた時期もあったようだ。娘も、息子も、ちょっと宿題がしんどいような顔つきをしていた時があった。

その時私がなんとなく息子に語ったこと。

それは、宿題ばっかりでいやかもしれないけど、いくつになっても宿題があるんだよ。大人になってもある宿題は、自分が何をしなきゃならないのか、分かること。大人になってもそれが分からない人はたくさんいる。
でも、それじゃ困るんだよ。

それが分かるようになるために、小さな宿題をやっていくんだよ。

色々な問題をやっていくと、自分が本当にやらなきゃいけないことがわかっていくから。

息子は何も言わなかったけれど、一応理由があると納得したような気もする。かなりこじつけですね。「じゃあ、宿題やったら分かるのか?本当に?」と言われると、それでも分からないことも多いからね・・・。

でも、あまりやらなかったらやっぱり分かりにくいんじゃないかと思うよ。うん。

もう、本当にやりたいことがある場合、全くやらないこともあるような気もするし。

子どもに言うことは、実は自分自身に対して言うことだとつくづく思う今日この頃です。