ようこ園

カリフォルニア州デービス在住の三児の母のブログ。

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3才児がプリスクールに慣れるまで(続編)

9月にプレスクールが始まった.

最初は、私が少しでもそばから離れたり、トイレに行こうとしたら泣いていた.親は、二週間に一回、学校で、割り当てられた担当の場所で他の子供たちの監督もしなければならない。そんな時には、自分の行きたい場所に私が一緒についてきてくれないということで怒ったり泣いたりで大変だった.ただ一緒にいればなんとかなる、担当の仕事がない日の方がどんなに楽だったか.何のためにお金を払っているのか、その点は考えないようにした.

それでも先生たちは一生懸命次女に話しかけてくれ、まずかなり先生になついた。

それから一緒にたくさん遊んでくれた他の保護者の人一人になついて、私が見えなくても大丈夫な日が何日か入るようになった。こうなるまで約一ヶ月.それでも毎日は一進一退という気分.

そして、プリスクールの一日の流れにもかなり慣れてくると、先生にだっこされてバイバイすれば、一時間ぐらいは私がいなくても大丈夫な状態になった。ただし大部分のお友達や、特にお父さんの手伝いに入っている人からは逃げるような態度ばかりとるので心配ばかりしていた.ここまでくるのに更に一ヶ月半ぐらい.

しかしこの一時間が過ぎて、丁度外遊びから中に入って最初のサークルタイムで皆で歌を歌ったり、簡単なゲームをしたりするときに私がいないと泣いてしまう状態からなかなか抜け出せない。

たった一時間だが、それでも当時の私には貴重な一人の時間だった.家まで往復しているとそれだけでその半分の時間がなくなってしまうので、プリスクールの駐車場をオフィスとして、そこでやれることをリストアップして、車の中でメールを書いたり雑用や仕事をしたりしていた。

少し慣れたと思えば既にホリデーシーズンで冬休みに突入.

休み明けは、また登園するだけでも大変な日々に逆戻りし、やっぱりもう無理かもしれない、やめようかとさえ思った.こういうときにかぎって、学校での担当も、キッチンでなぜかとても大変なパンケーキを焼く作業やら、ケサディアを作る作業やらが大当たり.まとわりついてくる次女にうんざりしながら焼いたパンケーキは、おいしかったと好評だったがあまり嬉しいと思える余裕さえなかった.

そんな折、1月末に、一度だけどうしても私がずっと一緒にはいられない用事がある日が入った時、私はママ友に付き添いを頼むしかないのではと思っていた.しかし、先生は提案してくれた.「スクールでやることは楽しくなってきたようだから、いつもと違う日をきっかけに、少し、がんばれるかやらせてみたらどうか」と。もちろん必要があったら付き添いをしてくれる人には連絡するからということで、その日を過ごすことにしてみたら、なんと大きな問題なくこの日が終了.

そして2月に入ると、学校に行くのが楽しみになり、朝からお昼までは私が途中で覗きにいかなくても、ほぼ泣くこともなく楽しく過ごしてくれるようになったのだった。

本当にあんなに泣いていたのが嘘のように、今ではお友達と大声で笑っていることもある。

それでも学校のある朝には、本当に今朝も大丈夫かなと思ってしまう.

そして笑顔で手を振れる彼女に、こちらも笑顔で手を振ってあげることができることに毎回感謝。

長かったけど、諦めなくてよかった。

きっと来年は大丈夫…だよね?

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3才児がプリスクールに慣れるまで

2月に入ってから、次女が急にプリスクールに慣れてくれた。

苦節5ヶ月。半年近くかかったけれど、今では私と朝別れるときに泣くことは全くない.
そんな事態にこちらのほうが慣れてなくていまだに心配になる.

三番目の子どもで、小さいころから家では大威張り、声も大きくて要求もしつこく諦めるまでさけびやまないという正に「魔の二才児」的な面のあった次女.一才半から、週二回だけれどファミリーデイケアにも通い、日本語だけの家の中の環境に閉じ込めない努力もした(つもりだった)。

少し言葉(もちろん日本語)が出るようになってからは、公園などで勝手に他の子に日本語で話しかけたりしていた.

それなのに。

それなのに。

ファミリーディケアに一旦慣れて泣かなくなった後しばらくして、三才ぐらいの時から急にごねて大泣きをして行かないというようになった.なぜ突然いやになったのかは想像するしかない.三才少し前におむつも取れたけれど、それを英語で伝えることはできないし、一才児から四歳児ぐらいまでいる縦割り環境で、結局内弁慶の彼女は、自分の思ったようにできることがあまりにも少なくてストレスになっていたのかもしれない。

いずれにしてもこれだけ大きくなると無理やり行かせるのも大変で、仕事もしていなかった私は諦め、その年の秋から息子も通ったプリスクールに行ってもらおうと決心した.

そう、決心がいったのは、そのプリスクールは親参加型のいわゆるcoop型のところで、親(主に私)の負担もあるからだ。もちろん負担だけでなく、私のような親業の修行の足りないものには大変ありがたい、parenting class(親としてどうあるべきかを学ぶ講座のようなもの)に参加できる機会が与えられるという特典もある.

DPNSには週3日のプログラムが次女にはちょうど良さそうだった.そこに入れるという保証もなかったが、一応卒業生の家族はその分優先されることになっているのは分かっていたので、それ以外のプリスクールには申し込まなかった。

日本に帰国したときに、保育園に体験入園させてみたいと思ったが、やはり不安がって無理だった.このことからも、言葉だけが問題だったのではないということがわかる。

DPNSに入れるという知らせがあったとき、ほっとしたけれど不安もあった。

それでも、担任が息子もお世話になった先生だとわかり、かなり気が楽になった.

もちろん、家以外の見慣れない場所は不安がって、私からあまり離れようとしないことの多かった次女だから、慣れるまで時間がかかるだろうとは思った.

(長くなったので続きます)

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もっと二才児との遊び

後二ヶ月とちょっとで3才になる次女。

よく言われるように、二歳児と過ごすのはほんとに大変なことも多いとは思う。でも最近次女と遊ぶと微笑ましいことが多く、ちょっと前にできなかったことができるようになっていてものすごく変化して面白い時期だなとも思う。同じ二歳でも、最初の頃と後の頃では雲泥の差だ。もっとも、うちの次女は、長男に続いて二歳過ぎるまであまりきちんと夜寝てくれなかったので、今やっとそういうことを楽しめる余裕が私に出てきたということはいえる。

次女の場合、言葉の発達はそれほど早いほうではない。

特に、英語のインプットは子ども三人の中で一番少なくなっている。家の中では我が家のコミュニケーションはほとんど日本語なので、英語に次女が触れているのは週二日、一日三、四時間の保育園の時だけ。しかもその時も日本人のお友達が何人もいる。

だから私は彼女に対しては最近わざと少し英語を教えるようなことをしてきた。

数字が好きな彼女が数字を数えるとき、英語で言ってみたり、絵本を読みながら英語ではなんというかも一緒に言ってみたり。でもそんなとき、彼女は決まって英語でいう単語は「ちがうよ!」と見事に否定してくれていた。例えば、私が魚の絵を指して「これはFishだね」などというと、彼女はきちんと「ちがうよー、おさかな!」と言っていたのだ。

ところが。

クリスマスの頃、ジングルベルの歌をさわりのところだけだが、英語風の発音で歌っていた。保育園で習ってきたようだ。そして、最近は英語風の調子ででたらめだけれど何か話しているような口真似をしていることもあるようになった。

さらに、2日ほど前、XEROXという文字がついている我が家のプリンターを見て、彼女が「E, elephant、たららららららららー(コンピュータのキーボードを押すと流れる音楽つき)だね。」と言ったのだ。

彼女は、以前長男がプレゼントでいただいた、幼稚園児向けのコンピュータで最近よく遊ぶようになった。これにはキーボードがついていて、それを押すとアルファベットごとに単語を言ってくれる機能がついている。随分前からアルファベットの形は少しこれで覚えたようだけれど、最近はこれを押しまくって単語を覚えたらしい。

英語は単に否定されていたのだから大層な変わりようである。おもちゃもなかなかあなどれない。私も昔はこういうデジタルなおもちゃはあまり好きではなかったけれど、かなり教育効果が上がることもあると認めざるを得ない。

まあそれでも英語で話しかけられると隠れようとしたり逃げようとしたりしている彼女。日本語でも知らない人だと逃げているから言葉の問題ではないかもしれないけれど、まだまだ日本語中心の生活である。そして、今後少しずつ英語に触れる機会を多くしていってあげれば、多分それであまり問題もないだろうと確信している。

最近の他の変化としては、少し神経衰弱のようなことができるようになった。夫が不要になった名刺の裏に、たまたま二枚ずつ同じ柄の揃っているかわいいシールがいくつかあったので、それを貼って、カードを作っておいたのだ。前にやらせたときには全く何をするのか理解できていなかったけれど、今日は自分でいくつかきちんと当てて、同じ柄のシールが出るとかなり喜んでいた。

それからパズル。アンパンマンのあいうえおのパズルがあったのだけれど、半分ぐらい自分でできるようになった。
別にあいうえおで識別しているわけではなく、パズルの形と絵と位置で覚えたり、パズルを逆さにして一つ一つのピースがあまりばらばらにならずに並んだまま裏返しで置いてあるところからほぼ順番に拾って並べていくと、わかりやすいということらしい。

それでもこんなことができるようになったんだなあ、と全く感慨深い。