3才児がプリスクールに慣れるまで

2月に入ってから、次女が急にプリスクールに慣れてくれた。

苦節5ヶ月。半年近くかかったけれど、今では私と朝別れるときに泣くことは全くない.
そんな事態にこちらのほうが慣れてなくていまだに心配になる.

三番目の子どもで、小さいころから家では大威張り、声も大きくて要求もしつこく諦めるまでさけびやまないという正に「魔の二才児」的な面のあった次女.一才半から、週二回だけれどファミリーデイケアにも通い、日本語だけの家の中の環境に閉じ込めない努力もした(つもりだった)。

少し言葉(もちろん日本語)が出るようになってからは、公園などで勝手に他の子に日本語で話しかけたりしていた.

それなのに。

それなのに。

ファミリーディケアに一旦慣れて泣かなくなった後しばらくして、三才ぐらいの時から急にごねて大泣きをして行かないというようになった.なぜ突然いやになったのかは想像するしかない.三才少し前におむつも取れたけれど、それを英語で伝えることはできないし、一才児から四歳児ぐらいまでいる縦割り環境で、結局内弁慶の彼女は、自分の思ったようにできることがあまりにも少なくてストレスになっていたのかもしれない。

いずれにしてもこれだけ大きくなると無理やり行かせるのも大変で、仕事もしていなかった私は諦め、その年の秋から息子も通ったプリスクールに行ってもらおうと決心した.

そう、決心がいったのは、そのプリスクールは親参加型のいわゆるcoop型のところで、親(主に私)の負担もあるからだ。もちろん負担だけでなく、私のような親業の修行の足りないものには大変ありがたい、parenting class(親としてどうあるべきかを学ぶ講座のようなもの)に参加できる機会が与えられるという特典もある.

DPNSには週3日のプログラムが次女にはちょうど良さそうだった.そこに入れるという保証もなかったが、一応卒業生の家族はその分優先されることになっているのは分かっていたので、それ以外のプリスクールには申し込まなかった。

日本に帰国したときに、保育園に体験入園させてみたいと思ったが、やはり不安がって無理だった.このことからも、言葉だけが問題だったのではないということがわかる。

DPNSに入れるという知らせがあったとき、ほっとしたけれど不安もあった。

それでも、担任が息子もお世話になった先生だとわかり、かなり気が楽になった.

もちろん、家以外の見慣れない場所は不安がって、私からあまり離れようとしないことの多かった次女だから、慣れるまで時間がかかるだろうとは思った.

(長くなったので続きます)